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母の旅立ちを見送った葬儀会館の控室に、KOUBOのパンが置いてあった。会館側からの「ご自由にお召し上がりください」の気遣いのパンだった。
ふたつ食べた。一気に食べた。母を病院で看取った後、葬儀の手配やらなんやらで食べることも飲むことも忘れていた私の身体に、KOUBOのあんぱんとクリームパンは秒速吸収されていった。
その日、紅茶色の尿が2回出た。ああまずいなあ・・今日という日を乗り越えられるかなあ・・と思った私を救ってくれたのがKOUBOのパンだった。あんぱんとクリームパンのお陰で気持ちが少し落ち着いた。尿の色もそれなりの色に落ち着いた。
ロングライフパンの存在は知っていたけれど、我が家には特段必要という品物ではなかった。何かが足りなくなれば「パッと行ってチャチャっと買う」といった都度買い出しに行くスタイルで、うちの衣食住はスムーズに回っていた。でも、母がこの世を去る少し前から、その「パッと行ってチャチャっと買う」という買い出し手法がほぼできなくなった。
近所のスーパーで狂ったようにパンが割引される曜日がある。この物価高で何でもバンバン値上がりしていくご時世でも、菓子パンが1個100円(税抜)を下回る価格で販売する。そんなラッキーな町に住んでいても、その日めがけて目当てのパンを買いに行くことが叶わなくなった。仮に行けたとしても、期限の問題があるから大量買いはできない。
生きていくカタチが変わると、今まで普通にできていた行動がとれなくなる。だからといって不平があるわけではない。できなくなった事に執着せず、出来ることをより快適にすればいいだけの話だ。
後期高齢者でアルツハイマー型認知症の父との本格的なふたり暮らし。その暮らしをなるべく以前のように保つべく、私はKOUBOのパンを、母がいなくなった暮らしに足すことにした。

とはいえ、ちょっとだけ悶々とする。金箔のような薄い薄いストレスを、日々重ねているのは実感する。でもその「薄い金箔のようなストレス」を、ロングライフパンが何枚か剝がしてくれる事がわかった。我が家にとって、とても大事な存在。KOUBOのおかげで「パッと出してチャチャっと食べられる」パンを手に入れた。
長期保存できるパン。それは保存食というよりはるかに素敵な何かで、私にとっては宝物。ただロングライフパン。いろんな味があったとしても、基本デニッシュ生地まみれである。そこはなんとも楽しくないなあ・・と思う事は確か。でもKOUBOから届いたパンを台所の引き出しに詰めたら、目の前に安心感満載のパラダイスが広がったので、生地云々についての不満は消えた。
父がお腹すいたとポンポン腹を叩きながらやってきても、ほいっと出してやれる何かがあるのでストレスフリー。母が大好きだったあんパンを、長々と仏前にお供えできるようになったのも嬉しい。そして、胃酸過多でたまに壮大な痛みに悶絶する私のとっさのお助け食糧にもなった。
とっさに食べるものとしては、パンがいちばん確実で手っ取り早い。胃酸過多の超絶胃痛が始まってから、パンのありがたさが胃と身に染みた。
人生と体調と、暮らす時間の流れ方が変わった我が家に降臨したKOUBOのパン。母が私の元を去り、父とのふたり暮らしになったんだという事をしっかりと認識させたもの。それがKOUBOのパン。だけど、パンがいつも引き出しに入っている暮らしも悪くない。まあ、そこにこの引き出しを一緒に喜んでくれる母がいれば、もっと楽しい日々なんだろうけど・・。
これからは今まで以上に備蓄対策が必要になって来る。後期高齢者でアルツハイマー型認知症の父とのふたり暮らし。KOUBOのパンと春夏秋冬楽しく暮らしていこうと思う。
今日はリッチチョコデニッシュを食す。以外に大きくてビビった。楽しみ。


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