介護日誌

父、90歳で「Yeah!」と叫んだ日に終わる人生、はじまる毎日

母の最期と父の認知症発覚が重なった日。90歳の父の「Yeah!」に救われ、私は“認知症の父の娘”として生き直す覚悟を決めた記録。
とんとこさんちの衣食住

娘、やっと椅子を買う(買う買う詐欺からの脱却)

アルツハイマー型認知症の91歳の父に、高座椅子を選んだ年末の記録。模様替え嫌いの父がすんなり馴染み、届いた一脚が私の未来の心配も少し軽くしてくれた奮闘記。
私の胸の内

母には自由に動く影がいた

かつて母の「自由に動く影」として祖母を介護した私。50代になり、91歳の父を独りで支える今、影は劣化し、孤独が骨身に沁みる。それでも「viva!」と言いたい。在宅介護の理想と限界の狭間を生きる、私の独白。
私の胸の内

金を積まれてもベーグルを食べない母が、私に遺してくれた「お土産」

「なんでこんなもんが美味しいのかねぇ」と呆れ顔で母がくれたベーグル。その味を、今はアルツハイマーの父を介護する「袋小路」の日常で噛み締めている。外出もままならない私を救ったKOUBOの長期保存パン。それは、亡き母が遺してくれた形を変えたエールだった。
私の胸の内

おかあさんへ【3】

一年はあっという間。母の祥月命日が訪れるという事は今年の終わりが近づいているという事。
介護日誌

父、ロングライフパンの賞味期限が気に入らず

ロングライフパンが「美味しい」より先に「面白い」と冠つけて称する日が来るとは思いもしなかった。KOUBOのパンは我が家の救世主。超高速ローリング短時間ストックと化しているKOUBOのパン。美味いです。
私の胸の内

次女、少しずつ毒吐くことを決める

親の介護には多少つきもの的な「確執」。私の姉に対する嫌悪感は幼少期からで介護のやり方以前の問題。いびつで根深いひとり勝手な確執である。妹、身バレしないよう人生のデトックス開始である。
介護日誌

祖父の「一回だけ介助」のハナシ

このところ「ああそういえばそうだった」が多くなりだした。フラッシュバックではない。ああそういえばそうだったとふふふと思い出しては心地よくなる何かである。
祖母の詩

【孫のあとがき】桃のつぼみがふくらむ頃

最近ふと思い出す事がいろいろあるけど「桃のつぼみがふくらむ頃」の記憶は辿ってもでてこない。
祖母の詩

桃のつぼみがふくらむ頃

たとえ幾つになろうとて、母は母。娘は娘。そこに年齢は関係ないのだ。