要支援2になった母の3度目の入院

介護

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  1. 母、救急搬送される(2024/01&03)
  2. 要介護認定を受けることを決意(2024/04)
  3. 地域包括支援センターへ電話(2024/04)
  4. 主任介護支援専門員と面談(2024/04)
  5. かかりつけ医に意見書をもらいに行く(2024/04)
  6. 福祉協議会の職員と面談(2024/04)
  7. 認定証が郵送で届く(2024/05)
  8. 地域包括支援センターへ電話(2024/05)
  9. リハビリ施設の選定(2024/05)
  10. リハビリ施設の見学(2024/05)
  11. 担当ケアマネ登場(2024/06)
  12. リハビリ施設契約締結(2024/06)
  13. リハビリ開始したものの急激に体調が変化(2024/07)
  14. 脳塞栓症にて入院(2024/07)

上記の工程を経て、いまボロ雑巾のごとき佇まいでこのブログを書いています。この記事を書き始めたのは7月に入ってすぐの事。記事上書きと放置を繰り返しながら8月を迎えました。

その8月も終わろうとしています・・・

なんかこんなはずじゃなかった私のviva!在宅介護。後悔と反省と嗚咽まみれです。それでも母を家に戻して在宅介護をしたいと思う気持ちは変わりません。

とんとこ

アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した年に産声を上げる。

一度は家を出たものの、夢破れ実家に舞い戻った三世代同居の世界で祖父母の介護に参戦するハメになったプロフェッショナルなおひとりさま。

2024年現在、両親の介護にも挑む事になった人生の隙間を縫ってブログ挑戦中。

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今年87歳を迎える母。生きていくバランスが少しでも崩れると、それはもうガタガタと音を立てて体力も気力も失うお年頃であります。

「まだまだ元気」と漠然とした表現で日々を過ごす歳ではなかったのに、本人の口から発せられる「まだまだ元気」に甘えてしまい、親が老いていくという現実に気が付かないふりをしてました。

親が老いることに対しての準備が甘いと、同居している家族は一瞬で谷底に落とされます。今から反省しても私は後の祭りなので、もう後ろは振り返りませんが、縁あってこのブログにたどり着いた「私の一歩手前」のような状態のみなさま。少しづつでもいいので、突然奈落の底に落ちないように準備と体力付けておいてくださいね。

年老いた家族と同居していると「親と一緒に暮らす」ことが、ある日「親を介護するために生活する」という日々にかわる時が来ます。

親と暮らすことは同じなのに、中身が全く別物になってしまうんですよね。

救急搬送されて退院してきたのち、2~12まではサクサクと事進みました。ウキウキわくわくでリハビリの時に履くシューズをイオンへ買いに行き…と、ここまではよかった。

要支援2の判定が下ってすぐ、ポータブルトイレの購入申請をしました。来るべき時が来てたのか、それともポータブルトイレが来たから安心したのか・・。

その直前まで何とかひとりで家のトイレで用を足していた母っだったのに、家のトイレを使うにもポータブルトイレで排泄するにも介助が必要となりました。ポータブルトイレがなかったら私はどうなっていたんだろう。

そしてあっという間に車椅子に頼らないと移動が困難になり始めました。家の中ではゆるゆると歩けるんですが、外出するチカラと気力がなくなってきたんです。

車椅子をレンタルした時は、まだ玄関の段差を自力で上り下りできる状態。その段差も難しくなってきたので、車椅子で玄関からすぐに移動ができるようにスロープもレンタル。

母も相当ダメージ食らってしまいましたが、私もダメージガンガン食らってしまいました。体力はまあ何とか持ちこたえてたんだけど気力がね・・。

そんな時、たまたまの定期受診で発見された血栓でそのまま入院。現在に至ります。

とにかく頑張るんだと気を張り続けていた私。大丈夫。だって私は経験者。母の事も父の事も、そして犬の事も世話できるはず。

20年前に経験した在宅介護。辛いことは勿論ありました。でもそれを上回る楽しい日々があったんです。そして辛いことって結構忘れるもんなんです。だから介護する側(私)もされる側(母)も良い思い出しかなくて、母が今年の頭に2度救急搬送されて家に戻ってきた時、互いに同じテンションで「在宅介護一択」の気持ちしかなかったんです。

でも日が経つにつれ、母が「ごめんね」を言う回数と「自分がこの家を不幸にしてしまっている」と言わせてしまう毎日が積み上がってしまいました。

母も母で在宅介護を読み間違えていたんです。私と同じで「介護対象者ひとりに介護者2.5人で在宅介護した記憶」しかなかったので、娘がボロボロになる光景が自分の目の前で繰り広げられるとは予想できていなかった。

母娘のメンタルダメージがMAXになりかかった時、母の今年3度目となる入院が訪れました。

悲しいことにホッとしてしまった私がいます。とっくの昔に限界を振り切った私の身体に、こうやってブログを書く時間が出来たことや睡眠時間を確保できている毎日が戻ってきたこと。それを喜んでいる私がいます。

もちろん母の容体は気になりますし、早く退院してまた我が家で生活できる日を待ち望んでいます。自分と母と父(そして老犬)のバランスを、今後どうやって保っていくか今後の課題としてドーンと大きく目の前にそびえております。

今回は長期。病院から提出された計画書には入院期間が1か月と記されてました。予定通りに退院してくれることを願いながら、毎日来るべき日に備えて体力と気力を戻している最中です。


そして思った以上に役に立たない長女。嫁いでいるので仕方ないと思うほかないけど、もう本当に心の底から絶望を叫んでいる次女がここに誕生してしまいました。この部分、超絶精神に悪い。姉に申し訳ないと思う部分が100%消えているわけではない家族としての情と、「あたしだったらぁ~・・」「うちのいえではこうするー」など言いながら、ギリギリで成り立っている我が家の一日を平気で崩していく姉を、本気で恨んでいる気持ちが私をぐるぐる巻きにしています。

姉は高齢者と暮らしたことも日常で年寄りに関わったこともないので、仕方ない部分もあるよな・・と、最初は一生懸命自分を抑えていたんです。

でもねぇ・・私たちはイイオトナなんですよ。何とか人生の経験値をフル活用して介護というやつに臨んではくれまいかと思うんですよ。

そんな私の願いを無視して毎回「親孝行」や「母の日ありがとう」的なイベントをしにやって来る姉。そして毎回古びた実家のどこかしらを破壊していく姉。元々そこまで仲良し姉妹というわけではありませんでしたが、母の介護をきっかけに、更にギスギスな関係になりました。

親孝行って自己満足なんですよ。もう私見極まりないですけどね。感謝とか恩とか、そんなもんは横に置いといてほしい。人間を支えなきゃいけないんです。

答えをもらうまで「嬉しい?」「楽しい?」と確認するようなことは介護ではないと思うし、相手の体調を確認せずに思い出話をして共感を強要することも介護ではないんです。

母を元気づけたいとか喜ばせてあげたいと思う気持ちを否定する気はないのですが、お願いだから今の空気読んでよぉぉぉ!と妹は思うんです。年老いたとはいえ、病で床に伏せっているとはいえ、母親はいくつになっても母親なんです。

うちの母もご多分に漏れず、姉のそんな「子供」の部分に付き合おうとするんですね。自分のために時間つくってはるばる来てくれているわけですから。

姉が帰った後は、家族総出で虚無です。それでも私が後ろを振り返らずに外出して、外での用事を済ませることが出来るのは姉のお陰なんですけどね。

母が思いもよらない「即入院」をしてから数日後、入院病棟でコロナが発生してしまったので面会ままならず今に至る私たち親子。

ちょうど髪の毛を切りに行きたいと言っていた直後に入院した母。たぶん伸びすぎた髪の毛を気にしているんじゃないかな。

退院したら、いの一番に髪の毛を切りに行こうねお母さん。

そう思う気持ちで自分を奮い立たせたり、考えたくないことを頭から追い出せないでいる自分との間で、今夜も眠れない夜を過ごします。

頑張れ母!!!
私も頑張る!!

また父と犬、そして私と一緒に暮らそうね。

2024年9月追記:病院Aで1か月の入院ののち、そのまま病院Aから病院Bに転院し、いま介護保険の再申請中です。今度は重たい判定が出ると言われましたが、それでもまだ家に連れた帰りたいと思っています。

寂しさと辛さと痛みを、ひとり病院の天井を眺めながら管につながれて、ただただ時間を消費する毎日なら、へっぽこな装備しか整えられないけど、医療従事者もいないけど、笑える回数が増える可能性のある我が家に戻したいと思っています。

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