或る日或る時

祖母の詩

珍しく「詩」ではなく「日記」をかいていた祖母。きっと助けたかったのだと思います。

或る日或る時

珍しくむし暑い日だった。買物の途中、突然或る家から黒い塊が往来へ投出された。長くのびているのは猫である。ついと出てきた男は、くたくたになっている生き物を更に溝に投込んだ。まるでぼろ布でも捨てるかのように。

猫は頭を上げて細い声で泣いた。黄色い目から涙が流れている。哀れなものから一刻も早く逃れたい思いが私の足を急がせる。可哀想だと思うが、今の私にはどうしようもない。猫にとって、私を含めて人間とは何と非常なものかと思う。

買物がすんで帰る道すがら心は重く、溝を見るともなく見れば、猫はうずくまって動く気配もない。生きていてほしい。だが、もはや石のように冷たくかたくなっていた。

頭上高く八重桜が見事に咲いている坂を登り乍ら、かくも脆く消える命って一体何だろう。生きているという事。死ぬという事。何時かは我が身に振りかかる厳然たる事実を目の当たりに見て、私は年甲斐もなくあわてふためいた。胸の中を妙に冷え冷えとしたものが吹き抜けてゆく思いであった。

物みな生々と萌え始める春の日。恨まず、あわてず、狂わず、日向ぼっこでもしているような姿で、生と死の谷間を見つめた猫はあっぱれだと考え始めたのは、夜おそく床についてからであった。

あっぱれな猫にも一つだけないものを、私は持ちたいと願った。それは金でもない。物でもない。宝石でもない。うまく表現できないが、生きとし生けるものを、優しく温かく包み馥郁と薫るもの。

それを私の子供の命に中に残してゆきたいと思う。

孫のあとがき

祖母の書き残した詩(日記)には日付が書かれていません。いずれの詩(日記)もそれを書いた年月日は不明ですが、それらを書き綴った時に住んでいた地名や町名を記してあるので、この「或る日或る時」は昭和30年代後半の出来事だろうとみています。

植物にも昆虫にも、生き物すべてに対して慈悲深い人でした。生前、干上がる寸前のアマガエルをティッシュに包み、近所の田んぼまで走った祖母の姿を何度も見かけました。後ろ足を1本失ったバッタをアイスクリームカップで数日保護していたこともありました。

そんな祖母です。この溝の中で泣いていた猫もきっと助けたかったと思います。でも何らかの理由で立ち去る事にしたのでしょう。

  

恥ずかしながら、祖母の日記で初めて「馥郁(ふくいく)」という言葉の漢字を知りました。50年以上生きても知らない漢字ってたくさんありますね。

はたして日本人は命尽きるまでに自分の国の文字を全部知ることが出来るのでしょうか・・

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