矢車草が咲く頃になると、鯉のぼりが空高くあがっている。竿のてっぺんでからからとなっている矢車は、もっと元気よく泳げと鯉を励ましているようだ。
矢車の音が強くなると、鯉は思いきり腹をふくらませ、身をくねらして勢いよく泳ぎ出す。若い妻は子を抱き、若い夫は綱を握って見上げている。二人の心がひとつになって、上る上る、お父さん鯉、お母さん鯉、子供の鯉。
終戦後、小さい子供を三人抱えていた私の家には鯉のぼりはなかった。おくられもしなかったし、買う余裕もなかった。子どもの日は私の家を素通りしていった。殆どの家が、五月五日はそうであったのであらうか。其の後、何年か経って、鯉のぼりがぼつぼつと見られるようになったが、我が家はひどく貧しくて、鯉のぼりどころではなかった。新聞紙を切り抜いて色をぬったり、学校で作った小さな鯉を庭に立てたりした。
祝えぬ節句が何回も何回もやってきて、長男は高校生となり、下の弟たちも中学、小学生となった。「屋根より高い鯉のぼり」の思い出を持たぬ子供達だが、一度も不平を言わなかっただけに、貧しいものは貧しいなりに、何らかの方法で幼い日の思い出として残るお祝いをしてやれなかったものかと、知恵のなさが悔やまれる。
五月の陽が照り、五月の風が吹き、今年も庭に矢車草の花が咲く。
悔やむな、悔やむなと花が咲く。
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