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家と重たい家具と私の老化と

とんとこさんちの衣食住

父と母が頑張って建てた一戸建ての家とその中身。楽しい思い出がたんと詰まっている家。しかしそれを引き継いだ私が、アクティブシニアでも、ワンダフルシニアでも、富裕層中年にも仕上がっていないので重たくなってきた。

 

父、念願の木と瓦を手に入れる

夫婦念願のマイホームを建てるというその時、父は頑として「玄関の門扉の横に庭師が手入れをしないといけないような木を植える」と「城仕立てのような瓦の屋根」という、年月経ったら確実にメンテナンスが面倒にしかならないその部分を、絶対的リクエストとして要求してきたらしい。

ほぼほぼ母の裁量で人生流されてきた父が、家を建てるなら絶対に譲れないと頑なに言い続けたらその部分。自分の好き放題する母も、さすがに家を建てる時に家長の意見を蔑ろにするわけにもいかず、渋々ながら木を植え、瓦屋根の家に住むことにした。

じじい。おまえさんの頑なな欲求が年と共に娘の負担になってきているぞ。そんなことを91歳の父に言ったとてどうしようもないので、ブログでぶつくさ言ってみる。

築40年を越えようとしている我が家。遠目から見たらそこそこ普通に見えるけど、私が何にも手を加えられずにいるので、近づけば古民家などとポジティブ表現できないくらいにボロ家と化している。

いま私が出来る事といえば、台風が直撃しないよう、我が家に線状降水帯がかからないよう、ひたすら祈る事しかできない。そしてボロになってしまった個所を、気づいてない振りしながら暮らしていくしか術がない。

庭師の必要な木と城のような瓦屋根を望んだ父は、アルツハイマー型認知症になっている。伸び放題で形の整っていない木は父の目に留まる事はないし、自分の城の瓦が台風で飛ぶかもしれない不安も父の脳には浮かばない。

全部、私が引き継いだ。

  

母、渾身の重くて分厚い昭和の家具を手に入れる

念願のマイホーム。木と瓦以外は、細部に至るまで母の意向がちりばめられていた。間取り、壁紙、家具、カーテン等々、母の好みで出来上がった。

家が建ったのは昭和だ。カーテンの柄ともかく、家の中に配置されたメイン家具はどれも重くて分厚い。ところどころ、平成に買い替えたり買い足したりした物はあるけど、家全体の家具約7割が空気感的にも実質的にも重く、そして分厚い。

令和7年、残された娘は非常に困っている。

記憶にある限り、私の母が家具を「家具店以外で購入」したことはない。父の洋服ダンス、リビングの食器棚、和室においてある本棚。どれもその昔の「the家具店」で購入した物ばかりだ。

「ガラスの開き戸がついた食器棚だとお気に入りのコーヒーカップが見えて癒されるー♪」などと言っている場合ではない。中年と後期高齢者にとって、割れるものが面でそびえ立っている場所ほど恐ろしいものはない。

本棚もまた同じでガラスの開き戸だ。「お気に入りの本が一目瞭然で素敵ー♪」などと言っている場合でもない。上から下までほぼガラスの開き戸は、50代後半に突入する私にとって、重くて容易に開けられない呪いのかかった扉になった。

昭和の磁石は強固だ。

父親の部屋の洋服ダンスは流石にガラス面の扉ではないけど、家長の使う家具ですよ。開き戸の磁石は強力、開き戸の厚みは昭和テイスト。箱自体が重すぎて、洋服を入れると出し入れが辛い引き出し。全体的に迷惑感満載のタンスふた棹。90代になり、洋服の整理整頓を自力でおこなう事が多大に難儀になった父。その父の洋服ダンスは後期高齢者にとって無用の長物となり、今ではほぼ空っぽのままで、父が祖父母の部屋を引き継いで以後、そこに設置してから1ミリも動かされずに同じ位置でそびえ立っている。

一生ものだからと母が奮発して購入した家具達。亡き母の思い出を語りかけてくる家具が、ここ最近粗大ごみに見えるようになってきた。

  

娘、残された思いを老化した身体で受け継ぐ

2024年11月のある日から、生まれて初めて体験する人生がスタートしている。心の支えになってくれていた人がいなくなった。アルツハイマー型認知症の父とふたり暮らしをする人生がやってきた。そんな我が家を、楽しく暮らせる空間に自分ひとりでカスタマイズしなければならない。

タンスどうする?
椅子どうする?
テーブルは?
ベッドは?
布団は?

ビュンビュンと音を立てて進む私の老化具合に見合わない試練がやって来る。とりあえず、父の部屋をどうにかしなくちゃと思ってはみるものの、その部屋の主の腰が重たい。

腰の重たい主は91歳になった。要介護1の人になった。だけどその人の部屋は、20年前の配置で時が止まっている。足元とテーブルの上がゴチャゴチャだ。自分の空間を触られるのが嫌な人だった故、母も娘も立ち入ることが出来なかったその部屋の状態を、アルツハイマー型認知症の脳が無意識なる完璧さで記憶している。

91歳からくる面倒くささが出現した事とアルツハイマー型認知症のお陰で、多少の物をコソコソと父がデイケアに行っているすきに処分できるようになったが、まだ断捨離のような娘主導の行政代執行はできない。

だからといって、流石にずーっっとこのままにしておく事は出来ないので、母の一周忌が過ぎたらジリ貧になっているチカラをぐっと集めて、たとえ父が納得しなくても、椅子だけは何とか変えようと画策している。気が付けば、我が家の椅子はどれも20年(もしくはそれ以上)の歴がある。

父は自分のために金を使う事をためらう。金は私のために出来るだけ取っておけと保護者面をする。だけど宝くじは金額度外視で購入する事を躊躇わないし、回転寿司を食べに行く事はしょっちゅうご所望する。

子を思う父親と、欲求を満たしたいアルツハイマー型認知症の後期高齢者の間をいったりきたりしながら、最後は「おとうさんに金は掛けるな取っておきなさい」で締めくくる。その言葉はありがたくも切ない。

家具はとりあえず見てみぬふりすることを決め込んだ2025。まず今年中に後期高齢者の身体を支える事に直結する椅子を買い替えようと思う。

  

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ひとまず出来る事、それは椅子の手配

TVっ子で椅子に座っている事が多くの時間を占める人だ。日中の大半を椅子に座って過ごしている。安心と安定の座り心地を持った椅子。91歳の身体の「座ったり立ち上がったり」がしやすい椅子をまずひとつ。父親の想いガン無視で、(金をかけるという意味ではないけど)座る人の身体を技術面で考慮したしっかりと作られた椅子を用意しようと決意した。

担当の福祉用具屋さんが「ホームセンターにもわりとしっかりした椅子結構揃ってますよ」と言ってくれた。でもたぶんそれではダメなんだと素人の私は思っている。このあたりDNAだろうか。安心できる椅子は「the家具屋」で買いたい。

91歳の身体を預ける椅子は、申し訳ないがホームセンターで調達してはいけない。そこには90代をターゲットにした椅子はない。おかあさん、やっぱり家具屋よね。こういう場面ではね。

どんどんと老化していく今後の人生、タンスは収納ケースのような軽い素材の方がいいとしても、年齢や体調で難儀な身体を預ける椅子は、機能性を考えて作られた椅子でないと快適に過ごせないと思う。

ちょこんと腰掛けるだけの時期も年齢も過ぎた。体幹だってヨボヨボになる。座るという動作ひとつとっても、自分の力だけで良い姿勢を保つことは大変になってくる。91歳の誕生日を迎えて、100歳の高みを目指している父の身体を支えてくれる椅子を探すのだ。

そしてその椅子は、いつか父から私に引き継ぐ財産となり、形見へと変わっていく。少し寂しい現実が見えていても、椅子を探して買い換えなければならない。

ただねおかあさん。家具は失敗だったわよ。正直思う。それははっきりと言っておく。天井近くまでそびえ立つ分厚くて重い昭和の家具は、確実に残された者の古き良き思い出にはなりにくい。

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古きよき思い出から離れる人生が始まる

椅子問題が片付いたら、次は布団。そして昭和の家具達と対峙。父の年齢もだが、私の年齢の事もある。今以上ガタガタと音を立てて劣化しないうちに、やれるべき事はドンドンやらないと。住環境の整理整頓は、本当に年齢との勝負になる。

父にも私にも、残されている時間が有り余っているとは思えないタイミングになった。古くなったわが家と、段々可愛げがなくなってきた昭和の家具達と。懐かしい良き思い出が染み出る品とさようならしながら、悲しくも新しい人生を進んで行く。

昭和の家具だけにとどまらず、母亡き後、開かずの扉や引き出しが至る所に出没している。さて、この未開拓の部分とデッドスペースになっている部分をどうするか。私の2026年は思った以上に忙しい年になりそうだ。

重たくて分厚い昭和の家具達よ。令和が来たら、母の思いを引き継いだ主は途端に老いてしまってね。昔みたいに、あなたたちを家具として扱えない関節やチカラの持ち主になっている。そのせいで令和が二桁になった時、もしくは元号が変わるかもしれないその前に、私は色んな物事に決着をつけなきゃいけなくなる。

受け継がれた物たちよ。その時は私の気持ちを汲んで、腹をくくってくださいね。私もあなたたち以上に腹をくくって、古きよき思い出とともに昭和を手放す手配をするから。

家を受け継いだ者の使命と宿命。それはなんとか50代が終わるころまでには成し遂げたい。

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