珍しくむし暑い日だった。買物の途中、突然或る家から黒い塊が往来へ投出された。長くのびているのは猫である。ついと出てきた男は、くたくたになっている生き物を更に溝に投込んだ。まるでぼろ布でも捨てるかのように。
猫は頭を上げて細い声で泣いた。黄色い目から涙が流れている。哀れなものから一刻も早く逃れたい思いが私の足を急がせる。可哀想だと思うが、今の私にはどうしようもない。猫にとって、私を含めて人間とは何と非常なものかと思う。
買物がすんで帰る道すがら心は重く、溝を見るともなく見れば、猫はうずくまって動く気配もない。生きていてほしい。だが、もはや石のように冷たくかたくなっていた。
頭上高く八重桜が見事に咲いている坂を登り乍ら、かくも脆く消える命って一体何だろう。生きているという事。死ぬという事。何時かは我が身に振りかかる厳然たる事実を目の当たりに見て、私は年甲斐もなくあわてふためいた。胸の中を妙に冷え冷えとしたものが吹き抜けてゆく思いであった。
物みな生々と萌え始める春の日。恨まず、あわてず、狂わず、日向ぼっこでもしているような姿で、生と死の谷間を見つめた猫はあっぱれだと考え始めたのは、夜おそく床についてからであった。
あっぱれな猫にも一つだけないものを、私は持ちたいと願った。それは金でもない。物でもない。宝石でもない。うまく表現できないが、生きとし生けるものを、優しく温かく包み馥郁と薫るもの。
それを私の子供の命に中に残してゆきたいと思う。
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