どさくさに紛れて、母より先に父がリハビリ施設に行くことになった。介護申請はしていない。齢90になる父が向かう場所は、総合事業が展開するパワーリハビリ施設。介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)の対象者として、包括支援センターの人が近所のパワーリハビリ施設にねじ込んだ。

え?オヤジの介護保険申請はどうなった??

あ、だいじょーぶですー♪介護保険使っていくのと変わらない料金で利用できるんでー♪
違うの。そうじゃないの。いや、金銭問題は確かにある。でもアナタ方は、父も介護保険申請したらいいですよと勧めたよね?母より年上の父の介護保険申請をしてないなんて・・・みたいな空気感で、娘の私を見下さなかったか?
介護認定受けてなくても、うちの父親のお金のかかり具合(施設利用料)は要支援1の人と同じ利用料なので、「おトクに利用できる」とやたらに総合事業を勧めてくる。これから母の事で確かに金も時間も飛んでいく。そこは必要経費として腹をくくっている。
この時は、母の体調と住環境を調えたくて地域包括支援センターへ電話した。父の事は二の次三の次だった。でも

おとーさまの介護申請も一緒にしたらいいのにー♪
と言われたから、ああそうかとお願いしたんだぞ。それを「自分たちは何にも言ってません」的に目をそらし、総合事業の利用をしたらいいですよとひたすら伝えてきた。私は父の介護保険申請をしたい。母の介護保険申請がひと段落ついたから、まだかろうじて残っている気力で父の事もひと段落つけたい。
そんな疲労困憊の私をガン無視して

近所に評判のいい総合事業施設があってぇ・・そこの利用枠がひと枠あいたんですよぉ♪ここの施設、結構争奪戦なんですよねぇ・・でも今なら申し込めますよ!ラッキーですよ!
この一言に乗ってしまい、父の介護保険申請をする事は立ち消えた。後期高齢者というラベルのみを貼り付けて、齢90の父は総合事業の施設へ通うことになった。これが父とパワーリハビリとの出会い。
2024年7月の話。父の通所人生の始まりのその瞬間、まだ母は生きていた。でも父が嬉々として出ていく姿を見送るだけの元気はなかった。そうだ。ベッドの中から「いっといで」というくらいしかできなかった。
そんな状況下の我が家だった。
で、総合事業ってなんなんだという話

介護保険申請をしていない父が「要支援1」の人と同じ利用料金でパワーリハビリ施設を利用できるのは、介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)のおかげ。で、総合事業とはなんぞやという話だけど、父が総合事業でリハビリを開始したと同時くらいに、母の容体が悪い方へと変化し始めたので、この部分をフカボリするのは、リアルタイムでは割愛していた。
~介護保険制度における市町村による事業~
総合事業(介護保険法では、「介護予防・日常生活支援総合事業」として定められています。)は、市町村が中心となって、地域の実情に応じて、住民等の多様な主体が参画し、多様なサービスを充実することで、地域の支え合い体制づくりを推進し、要支援者等の方に対する効果的かつ効率的な支援等を可能とすることを目指すものです。
(厚生労働省HPより引用)
私の父は介護保険未申請の「事業対象者」で、今回通所することになった半日型のリハビリデイサービスを「要支援1」の人たちと同じ利用料金で使うことが出来るらしい。
父の事は、すべて「○○らしい」で終わらせていた。その総合事業の成り立ちや内容を事細かに追いかけて調べ上げるのはめんどくさかった。それなりの費用でお得に通えて、父がその施設を気にいればいいのだと着地していた。
国からでなくとも、自治体からの援助であっても、それはどちらでもありがたい事だ。父の健やかな老後のための後押しになるなら、どこの財布から金が出ようが構わない。でも包括支援センターが勧めてきたそのトーンは、明らかに「介護保険の申請をさせたくない」意図が強くて、決して父の事を考えている提案とは思えなかった。
介護保険申請はとりあえず置いておけみたいな「急な手のひら返し」が透けて見えた。自分勝手にそう思い込んで、しばらくモヤモヤとイライラがおさまらなかった。

お父様も一緒に介護認定受けたらよかったのにー
と、母親が要介護認定の申請を出すときに勧めてきたにもかかわらず、そのわずか1か月後に

介護保険申請はとりあえずおいといて!ねっ!
と、ぶちかましてきた地域包括支援センターのケアマネ。まあ、父が意外にしっかりしてると判断したんだろう。でも残念。そこそこ認知症のスタートラインを片足でひょいと超えてるんだ私の父。かかりつけ医からも介護保険申請していたほうがいいですよと言われているんだ。

かかりつけ医に介護保険申請しといたほうがいいって言われたんですけど、パワーリハビリ行きながらでも申請はOK?認定おりたらどうなります?

リハビリしだしたらしっかりしてくるかもしれないから、今はまだ何にも考えずに通いましょうっ!!申請はいつでもできますからぁぁぁぁ!!
なら今申請してもいいじゃないのよ。もーどんどんと娘のストレスはたまる。それでも近所の評判の良い施設に滑り込めたので(評判よすぎてなかなか空きが出ないらしい)、まあ良しとすることにした。でも今回の手のひら返しに決して納得はしていない。
恨まないけど一生忘れないからな。総合事業を先に勧めてきた事。そのおかげで、介護保険申請の結果が出るまでに2か月もかかった。
楽しきかなリハビリ施設

おとーさん100歳とか余裕でなれるかもしれない♪
90歳でパワーリハビリで出会った父。91も95歳もすっ飛ばし、100歳になる事この上なく余裕だとぶちかまし始めた。
「コーヒーが飲める病院」とインプットして帰宅し、100歳のニシダさんに出会い、週に1度の午前中のみのリハビリだけど、そこに楽しい時間と自分の未来を見つけてご満悦だった。
この総合事業については、2025年の5月をもって行くのをやめた。私の体調がどんどんとおかしな方向へ傾きだした事と、父が物足りないと感じだした事。たくさんお世話になり、父が嬉々として毎週楽しみにしていた施設だったけれど、この「お昼ごはん前に帰宅するパターン」施設の利用時間は、何にもできずに日々終わっていたので、最後のほうは逆に辛かった(私が)。
父には今のように「トレーニングする器械があるところ」で、更に「お昼ごはん」「お風呂」「おやつ」が付く「ラグジュアリーホテルのようなところ」があるとそそのかし、施設を変わる事に了承してもらった。
トレーニングできる器械があればどこに行ってもいいよと父。父も楽しくはあるものの、いざ行きだしてみたら、週に1回で午前中のみという時間に少し物足りなさを感じていたよう。楽しいパワーリハビリ(器械)があれば、父はどこへでも飛んでいく気満々であった。

介護申請を!!
やっと地域包括支援センターの重たい腰が上がった。2025年5月のある日、父が要介護1の人となった。リハビリ施設がとても素敵な世界だという事を父の脳に刷り込んでくれた施設。みなさんとのさようならはちょっと辛かったけど、1日型の施設に鞍替えしなくては私が成り立たない。
ごはん付き風呂付のリハビリ施設
人生初のリハビリ施設がとても良い印象だったので、父は違う施設に通う事にも難色を示すことはなかった。むしろ行きたい派。友人の義母は床に寝転んで、毎回ジタバタと「施設に行きたくない!」と泣き叫ぶんだと聞いた。
父が好々爺でよかった。父が私の父でよかった。父がアルツハイマー型認知症でよかった。たぶんではあるが、父がアルツハイマー型認知症でなければ、意気揚々とは通所していなかったはず。父は100歳になりたいけど自分が年寄りとは思っていない。なので「施設に通う事」は「年寄りがすること」として受け入れなかっただろう。

たのしいよぉぉ♪きれいだしねぇ♪
と週に2回、ウキウキしながら1日型の通所リハビリ施設へ通ってくれた。ただしそれは約3か月という期間限定のものだった。90歳から91歳になったある日の事、91歳のイヤイヤ期が到来した。

おとうさん、あそこ行きたくないんだけど・・
割とまたワンランクダウンした感じの私のカラダに、父のそのひと言は辛かった。マジかぁオヤジ・・行ってくれよオヤジ・・
モームリに電話しそうな勢いの後期高齢者がそこにいた。好々爺でも何でもない父親が現れてしまった。仕方ない・・顔が歪むほど行きたくない施設へ無理やり行かせるわけにはいかない。
休ませた。娘頑張った。久方ぶりの「父親がずっと家にいる」という期間を乗り切った。父の事は大好きだ。しかし週に2回、夕方近くまで父が家にいないという時間は、今の私にとって「超」がつくほど輝かしいひと時だったんだと思う事もまた事実で。
探すぜオヤジ。また楽しく行ける施設をな。あなたと私の双方のためにな。
無責任なケアマネは

いいじゃないですかぁ、焦って探さなくても。9月中ゆっくり考えて決めたらいいですよー
と吞気に言い放った。ケアマネをどこかにブン投げたかった。8月半分と9月いっぱい身動きが取れなくなったら私が終わってしまう。私は自力で次の候補を探し、ケアマネに提案した。
「ケアマネカエタイ」とXにつぶやいた。今も確実にそう思っている。おとうさんが落ち着いたらチェンジしよう。そう思いながら毎日暮らしている。
自分の意見を何処かに追いやられたと感じたのか、ケアマネは

いいんじゃないんですかぁ、そうしたいならそれで。
とテキトーな感じで返してきた。やっぱりどこかへブン投げたい。
要介護1のリハビリ人生を立て直す
2025年9月。父は新たな1歩を踏み出した。新たなる地で過ごしたその夜、父の反応が何だか鈍いものだったので、ああこれは失敗だったかなあ・・と思っていたら

○○(施設名)は座っているだけでなんか穏やかな気分になるんだよっっ!
と「おはよう」を言うその前に、キラキラした顔して上記の言葉を放ってきた。父の表現力が、アルツハイマー型認知症とわかって以後、素晴らしくて腹を抱える。

なんかケンカしてると思って聞いていたら、楽しくおしゃべりしてたんだよ!
と、利用者さん同士で和気あいあいと話していた様子を楽しそうに教えてくれた。施設の人たちの対応にも心洗われたと帰宅した。
まだ1回しか利用していないのに、あと1回(週3回)増やしてほしいと言ってきた。家でぼーっとテレビを観ているより、施設に行ってリハビリした方が長生きできるんじゃないかな・・という理由で。
そうだな。このままの父でいてくれるのなら週3回もいいもんだよなと思うけど、そこはまずお財布と相談だ。
母がこの世を去ってからもうすぐ1年が経とうとしているが、まだ我が家の収支決算が出来ていない。ざっくりとした肌感覚で家計をやりくりしているので、父の「あと1回」という希望を余裕で叶えられるか少々不安。
でも週3回が実現できれば、私ももう少し体力戻せるかもしれないなあと考える。しかしだ父。とりあえず週2回の通所をクリアしてこい。話はそれからだ。
楽しいスタートであったとて、まだ1回しか行っていない施設。とりあえず様子見で頑張ろう。あなたが100歳目指してると同じ気持ちで、娘もリハビリ施設に長く通ってほしいと願っている。
何とかあなたの期待に沿えるように、今から電卓はじきます。
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