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私の母は、筋金入りの「ベーグル否定派」だった。それでも娘の土産にはベーグルを選んだ。「なんでこんなもんが美味しいのかしらねえ・・・」と言う言葉を添えながら、毎回渡してくれた。
病院の帰り道にあるパン屋でベーグルを買ってきてくれた。存在を否定しているベーグルであっても、自分の娘が喜ぶとなれば話は別だ。娘が好きなパンだとなれば、そこに否定は存在しない。
毎回、言葉から醸し出されるトーンとは真逆の嬉しそうな顔で、私にベーグルを差し出してきた。
母が月に一度通う病院の帰路で利用するバス停の前には、イートインコーナーが併設されているパン屋があった。母がそのバス停を使う日、母は自宅に戻る行先のバスが来るまでの時間を潰すのに、そのパン屋のイートインコーナーで、しばしの休憩を楽しんでいると聞いた。
母が毎月楽しみにしているカフェの日で、その母を家で待っている私の心が少しだけ浮き立つ日でもあった。
玄関のドアが開くと、母は「はい、いつものお土産。なんであんたはこんなものが好きなんだろうねぇ」と、毎回呆れ顔でプレーンベーグルをひとつ差し出してくれる。(もしベーグルが売り切れの時は、代替品のカレーパンが差し出されるのだが)
この月に一回の呆れ顔と嬉し顔のやり取りは、母が公共交通機関を自分ひとりで使うことが出来なくなって以後消えてしまった。どこへ行くにも、私が送迎と付き添いをするようになったからだ。お土産を買う母は年老い、お土産を待つ娘は介助者となった。
お土産だったベーグルは消えた。介助者になった私は、大好きなベーグルを買う事はしなかった。何となく自分で買うベーグルは味気なかった。
アルツハイマーの父を一人にできない「袋小路」の日常
今、私は90代の父と二人で暮らしている。父はアルツハイマー型認知症だ。その父を一人にして、買い物に出ることはできない。母がこの世を去る少し前に、生協の宅配やネットスーパーで日々の食料を買い調えるようになった。2026年もその日常は続き、私は余程の事がない限り、実店舗に買い出しに行くことはない。
ちょっとそこまで・・と、車を走らせることが出来ない切実な恐怖が、いつも私の背中に張り付いている。大げさだけど、生命維持に直結している食べ物が底を突いたらどうしようという不安が、毎日脳の中でぐるぐるしている。
食糧の備蓄は、単なる「もしもへの備え」ではなく、今日を生き抜くための「防波堤」となった。
そんな私が出会ったのが、「KOUBO
」のロングライフパンだった。母の葬儀をとりおこなった会館の控室に置いてあったパン。あの日、茶色い尿が2回出た私を何とか踏ん張らせてくれたKOUBOのパン。そのKOUBOから「長期保存できるベーグル」が発売された。
お土産のベーグルとは違うけど、気持ちを救ってくれたKOUBOのベーグル
箱を開けた瞬間、あの日のお土産の袋と同じ香りがした気がした。箱の中にはベーグル30個。母の「なんでこんなもんが美味しいのかしらねえ・・・」も、「はいお土産」の言葉もついてないベーグルが大量に届いた。
なんで一度に30個も注文してしまったのだろうと、段ボール箱パンパンに詰まったベーグルを目の当たりにした時は、流石にやっちまったと自分でも苦笑いだった。味が3種類(プレーン・チョコ・ベーコン)で各10個ずつとはいえ、すべてベーグルだ。ベーグルが30個一堂に会するのはもう業者でしかない。なんであんパンとかクロワッサンなどと上手に組み合わせて注文しなかったのかなあ・・と、5分くらいひとり反省会を開いた。
でも、その反省は的外れの反省だった。
この30個のベーグルが、私の味覚にも父の好みにも合わなかったらどうしよう・・・。でもKOUBOのそれは違った。美味しかった。
レンジで少し温めると、あの日母が買ってきてくれたベーグルのように、もっちりと、私を包み込んでくれるような弾力だった。本当に美味しかった。
30個のベーグルは、あっという間になくなった。
「はいお土産。なんでこんなもんが美味しいのかしらねえ・・・」
KOUBOのベーグルをひと口飲みこんだら、指先二本で袋を摘まみ、ゆらゆらと揺らしながら私にベーグルを持って帰って来る母の姿と声が聞こえた気がした。私の喉を通り過ぎたそれは、母とは無縁のKOUBOのベーグルだったけれど、母から貰ったお土産の味がした。
備蓄は、心に「余裕」という栄養をくれる
今、我が家のキッチンにはKOUBOのパンがストックされている。
これがあるから、父の介護で一歩も外に出られない日も「どうしよう!食べるものがない!」と、パニックにならずに済む。賞味期限が長くて(最大75日)常温保存できるパンは、ちょいちょいと自分都合だけで外出ができない私にとって、この上なく貴重な食べ物だ。
冷蔵庫(冷凍庫)の容量を圧迫しないのもありがたい。父の介護や自分の体調の都合で、「買い物に行けない(行けなくなるかもしれない)不安さ」と常に対峙している私にとって、ロングライフパンはまるで母のように私に添ってくれている。
ニチレイフーズの冷凍おかずも生協もイオンネットスーパーもまた同じ。食べるものが向こうからやって来るシステムは、もう本当に何とも言えない有難さのかたまりなのである。
2026年現在、生協とイオンネットスーパーとKOUBOのロングパンが、母の代わりにグダグダな体調の私の背中を支えてくれている。冷凍おかずのニチレイフーズ
もまた然り。無理をして外へ出なくても、自分を追い詰めなくても大丈夫。何とか毎日踏ん張れている。
母が遺してくれたのは、ベーグルの味ではなく、「美味しいものを食べて、あんたは元気でいなさい」という、形を変えたエールだったのだと思う。まさか私の大好きなベーグルが、母との思い出のパンが、常温で長期保存できるパンとなるなんて。そしてフカフカと台所の引き出しで「どんとこい!」と待機してくれる日が来るなんて。
高速ローリングでパンを短期ストックする日々
今はデニッシュ系のパンがストックされている。常温保存・長期保存できるので、母の好きだったあんパンを常に仏壇に供えている。ロングライフパンはそれが出来るんだ。月命日に合わせて買い出しに行けない私にとって、KOUBO
のパンは常にお供えが出来る心安らぐパンにもなった。
ただ、あるとどうしても気軽によく食べてしまう。長期保存ができるメリットを台無しにして、高速回転でローリングストックを繰り返している。
父にしても私にしても、お互い年齢的にバクバクと甘いパンを食べる事はよろしくないが、でもいざという時のためにロングライフパンは必要不可欠だ。加熱もいらない、手間もいらない、袋を開けたらサクッと食べられるパンは、すぐに腹ペコになる私たち親子にとって、なくてはならないものなのだ。
母が荼毘に付される準備をしたあの葬儀会館で出会ったKOUBO。父のために「ロングライフパンを備蓄しとけ」と言われたようで、そして「なんでこんなものが好きなんだかわからないけど、いつでも食べられるよう常温で長期保存できるようにしといたから」と、まるで母が私のためにKOUBOにベーグルを作らせたように思えた。
いまストックしているデニッシュ系がなくなりそうになったら、次はまたベーグルを取り寄せよう。ベーグルは、母と私の真ん中にあったパン。むっちりとした感触の思い出で出来ているパンだ。「備蓄」と言い訳しながら購入し、気軽におやつとして食べる。私のために10個。でも父にはサツマイモが入ったデニッシュを。
そして、パンを食べながら父の介護を続ける
母がいなくなった後、私はいろんな物のチカラを借りて2024年から2026年に進んだ。でも母が立ち寄っていたパン屋の前を通らなければいけない用事ができた時、まだグッと体の芯に妙な力が入ってしまう。そのパン屋を見ないように通り過ぎる。
そんな妙な力が入る日があったとて、(今のところ)viva!在宅介護は続いていく。父のファイナルステージが楽しい日々でてんこ盛りになるように、パンのチカラを借りながら、親子ふたりで日々暮らす。
母が最後にベーグルを買ってきてくれたのはいつの日の事だったのだろう・・・
そういえば「隣に座ったジジイにイートインコーナーの使い方教えてやった!」と、自慢げに話していたっけね。
懐かしいな、母。もうあなたから貰うことの出来ない土産。そんなに遠い日の出来事ではないのにね。
随分と遠くにある記憶の欠片になってしまった。
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