自民党の混沌
父のプチお小水問題
上記ふたつの事柄が絡み合い、平成8年にあの世へ行った祖父の記憶がポンと私の脳から飛び出してきた。祖父は人生の最後ガンと闘い、そして息を引き取った。祖父の事は、私の母がその殆どを世話していたので、祖父に関しての「介護・看病」という役目が私に回ってくる事はなかった。
忘れていた「じいちゃんに頼まれたコト」
たまに通院の送迎と頼まれた本を買いに行く事。それくらいだったかなあ・・孫としての務めは。ちょっとしたお使い程度の役回り。祖父は人生のギリギリまで自分の好きな事をし、出来るだけ自分の身の回りの事は自分でしていた。
そんな祖父から頼み事をされた。病院の個室で快適に過ごしていた祖父を見舞にいったある日の事。

おうとんとこ。しょんべんがしたい。尿瓶取ってくれ。
明治の男だ。といっても明治44年の12月生まれなので、ほぼ大正時代の空気を吸って生きてきた人なんだが、祖父の性格や生き様は「明治の男だからねぇ・・」と苦笑いしながら言うそれがピッタリする。そんな人だった。
そんな人から「しょんべんがしたい」と告げられた。

はいどうぞ。
祖父は人生が終わる少し前の時間、入退院を数回繰り返した。その当時、少しだけ認知症の頭角を現した祖母から解放された入院に「快適じゃ」と言ってみたり、その認知症かもしれないとされる妻が心配で、本来できない退院を強行してみたり。
何にも聞かされた事はなかったけれど、母は都度都度そんな祖父に振り回されて大変だったんだろうなあと今になって思ってみたりする。
でも父娘、性格はそっくりだったからな。おかあさんもおとうさんを振り回していたからな。やった事はどこかでやられるんだよ仕方ない。ね、おかあさん。
そしてたった一回こっ切りだったけど、私は祖父の排泄介助をやったんだった。自民党の混沌と私の父のお小水問題で思い出した。入院中の祖父から頼まれたんだった。その頼みは、孫の予想をはるかに越した依頼であった。尿瓶渡せばいいだけの話しじゃなかった。ガチの排泄介助だった。
私はじいちゃんのティンティンをつまんだのだった。
まさかの排尿全介助
祖父は何のためらいもなく排尿に関するすべての工程を孫に託してきた。じいちゃん・・おまえ明治のオトコじゃなかったか?いま入院している病院の病棟看護師の日勤シフトをメチャクチャにしてまで風呂に入ったオトコだっただろ?風呂に入るのに「オンナの看護師は恥ずかしいから嫌だ!」と、当時めっちゃ希少価値の高かったオトコの看護師を自分の入浴日に合わせて出勤させただろ?
そんな祖父が孫に排尿介助を頼んできた。今思えば「じいちゃん相当辛かったんだろうな身体」と察せるけど、まさか明治生まれの頑固じじいが孫に自分のティンティンを託すまでの辛い状況に追い込まれているとは想像に及ばず・・・
じいちゃんの手元に尿瓶を置こうとした瞬間

うむ、じゃあやってくれ。

へ?(ジャアヤッテクレ?)
じいちゃんは仰向けになったまま微動だにしない。なんなら目をつぶっている。じいちゃんの「じゃあやってくれ」は
孫が布団をはぐ
↓
孫が寝間着の合わせを広げる
↓
孫が下着からティンティンをだす
↓
孫が尿瓶にティンティンを装着
↓
孫が排尿開始の合図を出す
↓
じいちゃん排尿開始
↓
じいちゃん排尿終了
という事なのか??と頭グルグルしていたら

はやくしろ。もらす。
と急かされた。漏らすと言われたらそれはもうフルスピード。頭グルグルしていた工程を「孫が布団をはぐ」ところから始めた。
生れてはじめて持つガラスの尿瓶だぞ。人生初のじいちゃんのティンティンだぞ。そのどちらも結構なインパクトだぞ。でもじいちゃんは漏れそうだ。人生初の出来事を感慨深げに噛みしめることは許されない。
その時はその行為が親族初の偉業となるなんて想像もしてなかった。祖父の介護は一切していないと思っていたが、そうではなかった。私は母ですらやっていない「祖父の排尿介助」という母方親族の伝説になる「祖父のティンティンをつまむ」というミラクルを成し遂げた。
排尿後、じいちゃんは「ほう♡」とした顔をした。孫もホッとした。
最後になると思っていなかった会話
その後、じいちゃんが聞いてきた。

選挙、どうなった?

あ・・わかんない
じいちゃんのせいにするわけではないが、今回の選挙はパスしていた。平成8年10月20日。第41回衆議院議員選挙の投票も結果も、祖父の入院で家族全員がパスしていた。
祖父:「選挙、どうなった?」
孫:「あ・・わかんない」
このやりとりが祖父と交わした最後の会話だった。この数日後、祖父はこの世を去った。
じいちゃんの排尿介助をした。じいちゃんが気にしている選挙の結果を教えられなかった。このふたつの事が50代の後半に突入した私の名誉としこりになっている。
本当にどこが人生最後の瞬間になるかわからない。私はティンティンの一件で母方親族の伝説の人となったが、じいちゃんが知りたくてたまらなかった選挙結果を伝えられなかったので、孫としては落ちぶれた気がしてならない。
「投票は未来を作るんじゃ」と、選挙に行けと口酸っぱく言っていた祖父。行きたくても行けなかった第41回衆議院議員選挙の選挙結果を知ることなく旅立った祖父。孫、今はちゃんと投票に行ってますよ。
続いていく父と私のviva!在宅介護
後日(といっても数年後)、母と叔母に「じいちゃんのティンティンをつまんだ(排尿介助)」事を話した。単に思い出のひとつとして話しをしただけだったのだが、ふたりとも物凄い声を出して驚いた。「あのお父さんがねえ・・」そう言いながら、母と叔母は茶をすすっていた。
今だったら確実にティンティンに管を通されてオムツを付けられそうな状態だったにもかかわらず、最後まで尿瓶とはいえ自力で排尿できていた祖父は幸せだったのかもしれない。その最後の手助けを私は出来たのだ。そしてこのブログの件や他の記憶を含め、色んなことが今の私の役に立っている。
祖父も祖母も母もみんな私の元から去っていったけど、それぞれが多大なるチカラを与えてくれたので、アルツハイマー型認知症になった父とふたりきりになっても何とか普通に暮らせている。あとは私の体調が好転すれば、更に物事なめらかに進んで行くのだろうけど、現時点ではなかなかうまくいかない。
そうそうじいちゃん、いまの日本の政治どう見てる?好き嫌いともかく、初の女性総理大臣が誕生するかもしれない局面になってます。あなたが生きていたら何と言ったか・・。そう思いながらSNSを夜ごとチェックし、どれだけ内容に相違があるかとテレビをつける日も増えました。
祖父とは接点あんまりなかったよなあと思っていたけど、それは誤認だった。今回のティンティンの一件を思い出して以降、それなりに祖父との思い出も私の脳に結構刻まれていたという事が判明した。
母の介護や看取りのお陰で、悲しきフラッシュバックにぐるぐる巻きにされていた私に光が差してきた。それはふと思い出す優しい何かで楽しかった思い出。これからは楽しい事でぐるぐる巻きにしていこう。
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