総合事業を利用し、初めてのリハビリ通所デビューを果たしたあの日。この世で初めて「御年100歳」になる人を目の当たりにしたあの日。
この施設に通っていた時は、まだ人生の先輩である100歳の人を肯定的にとらえていた。というか目標だった。90代に突入した父。たぶん思っていた以上に体調が好調なんだろう。100歳の人に自分の未来が見えたんだろう。

おとうさん、このままだったら100歳とか余裕ぅ♪
と、施設に通い始めてから毎日上記の言葉をぶちかましてくれていた。不思議なくらいに足腰どこも痛くないので「逆に怖いわぁ♪」と、仏壇の前で決まり文句の如く自慢げに話してくれた。
娘に騙され踏み出したはじめの一歩で掴んだ成功体験
父は臆することなく総合事業を受け入れた。それは私が「90歳以上の人は自治体が特別扱いをしてくれる」と伝えたからだ。市が後期高齢者のためのスポーツジムを作っており、安い値段で使わせてくれるとも嘘ついた。
もうすでに認知症であろうと思われる素振りや言動がみてとれているので、過去に体験していない世界の事や複雑怪奇な制度を伝えても理解が出来ない。介護保険制度は父が歩んできた世界にはなかった。なのでこのタイミング(アルツハイマー発症)で介護保険制度なんちゃらを説明しても、父にはその仕組みが理解できない。
それでも仕事だから仕方ないのかしら・・包括支援センターのケアマネは、テキスト通りに制度の事を父に話す。父から放出されるクエスチョンが、うちのリビングに飛び散らかっていた。
なにも事が先に進まないので「90歳、特別待遇」とか「後期高齢者しか通えない割安スポーツジム」などとケアマネの隣で通訳し、父の行ってみよう意欲に火をつけた。「え?割安なの?」と、案の定食いついてきた。よかった。
父は「安い」という言葉が大好きだ。高価な服より、税込みで399円の値札が付いたTシャツを渡した方が数倍喜ぶ、そんな父だ。
そんな通訳が必要とする父に向って、まだ包括支援センターのケアマネは「介護」やら「老人福祉」みたいなワードをちりばめながら話していたので、父の脳みそは自分の理解できる部分の「介護」と「老人」部分だけを切り取り、少しだけムッとしながら

おとうさん、そんなとこ別に行かなくてもいいかも・・
と、「バカにすんなよなぁ、まだ若いしー」的に「イカナクテイイデス」と断っていた。ケアマネさんのいう事は正しい。間違っていない。これから父が利用するあれこれは、すべて高齢者福祉の世界だ。けれど老人になった自覚のない年寄り(父)は、他人様にお世話をされることは不必要だと考え、「ボケた年寄りが通う老人ホーム」へ放り込まれるくらいなら、家で青竹ふみをしているほうがマシだと包括支援センターの人に返していた。
ちなみに青竹ふみは持っていない。
娘はその横で「運動器具」とは言わず、ひたすら「マシン」連呼でその気にさせた。「スポーツジムだぜオヤジ」と連呼した。そして「お試し体験はタダ!」と畳みかけた。
なら体験だけしてこようかな・・と、とりあえずお試し体験へ向かってくれた。そしてお試し体験したその日、父は「ひゃっほい♪」と小躍りしながら帰宅した。

おとうさん通う!看護師さんも先生もいる!すごいよあそこの病院!コーヒーが飲めるんだよ!!
コーヒー以外はすべて間違いインプット。看護師さんと先生と説明してくれた人たちは全員職員さん。どうやら血圧を測定したので、それで病院と思ったらしい。機械も6台あった(これは正解)、みんなやさしい(これも正解)、家から近い(正しい)。
見ず知らずでも、若い人たちから褒められたのがよほど嬉しかったのか、市はいい仕事するねぇとご満悦。そして本契約となり、週に一度のペースでこの施設に通うことになった。この人生初めてのリハビリ施設が父に良くしてくれたお陰で、リハビリ施設というやつが父にとって「とても居心地のいい場所」としてアルツハイマーの脳に刷り込まれた。
そしてこの施設で大好きなニシダさんに出会えた。
娘のピンチと父の意欲で新たな施設を探す事に
母を看取るその前から、私はずーっと疲れていた。疲れなんてライトなもんじゃない。疲弊とどん底。一度失った体力と筋肉、そして気力は並大抵の休息では回復しない。
週に一度で午前中のみの父の通所生活が始まった。父が施設に通いだした当初、そんな数時間でも父の気配を気にせずにいられる事に感謝感激雨あられで、リビングで大きな大きな伸びをした。行けなかった買い出し。行きたかった自分のメンテナンスのための病院。やれずにいた父の部屋の整理や母の片付け。少しずつでも色んなことが出来るんだと胸高鳴らせていたが、それは大いなる間違いだった。
足りない。時間が足りない。午前中だけという時間枠では何もできないという事実しか見えてこない。貴重な少ない時間でやりこなせたのは、日々の洗濯と横になる事のみだった。
せっかく楽しく通っている父には申し訳なかったが、自分都合で

お昼ごはん付きの朝から夕方まで居られるジムもあるよ。どうする?行く?
と提案してみた。幸い父も「週に一回しかも午前中だけ」というリハビリは、やりだしたら物足りないと感じていたようだった。ラッキー。すぐさま私の提案に乗ってきた。そうなるとネックは総合事業。父は介護保険申請をしていない。介護福祉のスタート地点に戻らなければいけなくなった。
包括支援センターのケアマネに相談。総合事業を利用している状態での介護保険申請は、申請が下りるまでの時間にプラスαが付くらしい。このあたりなんともしっくりこなかった。何故なら、総合事業を利用する流れに乗る前に、「介護保険申請をお願いしたい」と一度こちらから申し出ていたからだ。
この件は包括支援センターから途中で拒否された。とんとこさんちのお父様はまだ元気だし、ご自身で歩けているし・・などとはぐらかされながら、総合事業での施設利用をゴリ押しされた。その時は総合事業が何たるか知らなかった。ただ「要支援1の人と同じ扱い(料金)で施設利用が出来ますよ」と言われただけだった。
まあ、調べもせずにその話に乗ったこちらも悪いのですが。
後出しジャンケンのように「ちょっと申請結果がでるまで時間かかるかもしれないんですよねぇ・・総合事業利用している人」と、聞こえるような聞こえないような声のボリュームで告げてきた。
長かったよ、疲弊したカラダに約2か月は。
要介護1でリスタートした施設でもイチバンになれなかった90歳
お昼ごはん付きの後期高齢者専用スポーツジムへ週に2回。トレーニングの後は風呂にも入れる。お湯は使いたい放題だ。ザバザバと風呂へ入って来い。おやつも出るよ。ホテルみたいね。そう言って父を新しい施設へ送り出した。
新世界で臆することなく「ひゃっほい♪」と楽しみ始めた父。週に2回、しっかりとトレーニングして風呂に入ってきてくれるので助かる。
でもある日、悲壮な声を上げながら送迎車から降りてきた。

おとうさんイチバンじゃなかった!!そしてニバンでもサンバンでもなかったぁぁぁ!!!!
新しい施設は市内でも大きな施設。また最高齢100歳がいた。そして父とその100歳の間に、91・92・93・・・と細かく立ちはだかる壁があったそう。この時、父はまだ90歳。90代には90代なりの超えられない壁がある。
父はとにかく早く100歳になりたいと願っている。後期高齢者の中でイチバンになりたいと思っている。この施設に行きだした直後、自分がすむ街に何人100歳がいるのか気になり始めた。

100人以上はいるみたいよ
と、本来の数字の半分で答えておいた。「長生きできる街に住んでるんだからよかったじゃない」と励ました娘の言葉は届かなかった。母の仏前でしばらく落ち込んでいた。
で、このリスタートした施設は8月をもって行くことをやめた。どうしても父が許せないという事がこの施設で起こり、もう行きたくないと涙目で懇願された。仕方ない。歪んだ顔の父を見るのも辛い。リハビリには通いたいという気持ちはたくさん持っているので、この意欲が消え失せないうちに次を探そう。
期待と不安が入り混じる新しい施設(100歳がいないといいな)
今度の施設は、1日の利用者が20名程度の規模の施設。父の願いである「トレーニングマシン」「おひるごはん」「お風呂」「おやつ」はバッチリ揃っているし、なにより父が嫌だと言っている事は起こらない施設。
もうすでに行く気満々の父。まだ契約はしていないけれど、施設名を伝えたら一度で脳にインプットしてしまった。前の施設はもう消えた。利用していた曜日も名前も出てこない。
まだいつから行き始められるかもわからない施設に胸躍っている。ワクワクと来るべきその日を待ち焦がれているけど、でも同時に

また100歳がいたらどうしよう・・もうさすがにいないよねぇ
と言ってきた父。いないといいねぇと返すしかない娘。でもたぶんいると思うんだ、あなたより年上の人。まだ91歳がトップに立てる施設はないような気がするよ。
自分も100歳になりたいけれど、すでに100歳の人はちょっと邪魔に感じるようになりだした父。あと9年したら父も100歳に到達する。今は「100歳まで10年切った!」と、自分がさらに年老いていくことに嬉々としている。おとうさんが言う通り、本当に100歳までこのまま余裕で生きてほしい。そしてどこかの90歳に疎ましがられてもらいたい。
父が100歳を迎えた時に「やっと頂点とったねー!」と、一緒に小躍りしてみたい。できれば今のまんまの父と。できればまだ私を忘れず「娘」として記憶できている父と。
そんな娘の願いを付け加えて、フルスピードで100歳になりたい父と一緒に100歳へ向かう50代後半戦に突入する娘。
大丈夫か?私。そっちのほうが心配だ。
コメント