元に戻せる人生なんてないのだけれど

私の胸の内

現実を見つけてしまったあの日。私は母を年寄りにすべきだった。今さら悔やんでも母はもういない。あの時目をそらした後悔は、ずっと自分の中に残したままで、この先を生きていかなければならない。

ただ私は立ち止まれない。父のためにあの日の母からゆっくりと離れ、そして進んで行く。

 

 

定期券を落とした母

見たことのない狼狽えぶりだった。月に一度の通院日。バスを降りて、ちゃんとポケットに入れたと思っていた定期券が帰宅したら見当たらない。

「絶対にポケットに入れた」と、バスから降りて家にたどり着くまでの様子を、身振り手振りを交えながら振り返える。たぶん「入れた」と思ったポケットに入らず、するりと道端に落ちてしまったのだろう。定期券の落下音は、母の耳には届かなかった。

最寄りの警察署とバス会社の営業所に問い合わせたが、母の定期券は見つからなかった。母は定期券が見つからなかったことより、自分が定期券を落とした事とそれに気が付かなかったこと。今までしたことのない失敗に落ち込んでいた。

後日、定期券を再発行したその足でバスに乗り、新しいパスケースを買いに出かけた。今度はちゃんと確認する。もう絶対に落とすなよと、自分に言い聞かせていた。

再発行した定期券が知らせた母の老い

定期券を再発行して数か月後の通院日。出かける直前に、定期券がない事に気が付いた母。またもや狼狽える。確かにあった。家で見た。そういいながら、定期券が潜り込んでいそうな場所を探し回った。

バッグ、ポケット、薬の袋。見かねた私は声を掛けた。今回は私が送っていくよ。定期券は帰ってからゆっくり探せばいいじゃない。

母はそれを断り、現金を出してバスに乗るから、あなたが探しておいてと出かけていった。わかったと私はうなずいた。

定期券は、意外な場所に入り込んでいた。でも母が言う通り家の中にあった。追いかければ定期券を渡せる。そう思って、急いで車のエンジンをかけた。

家から下っていく坂の途中、よたよたと歩く老人が見えたので、私はその横を徐行した。狭い道。その老人を驚かせないよう、危険がないよう、通り過ぎようとした。

母が着ていた服に似ているなあと横目に見たその老人は私の母親だった。私の知らない母だった。家に続く坂道なんかなんともない。バス停まで10分もあれば余裕で間に合う。その言葉をずっと信じて見過ごしていた。

私の母は年寄りだった。もっと早くに気が付くべきだった。

元に戻せる人生なんてないのだけれど

あったよー!と明るく声を掛け、定期券を手渡した。もう一度「やっぱり今回は送っていくよ」と提案してみた。

大丈夫!バスに乗る前に見つかってラッキー!いってきまーす!と、いつもの母から返事が返ってきた。

ああ、母は子供の前では絶対的に母親になるんだなと切なかった。それは後期高齢者になっても続くんだと思い知らされた。長い間、子供と一緒に暮らしていた母は、その役目を放り出すことが出来なくなっていたんだと切なくなった。

背後から近づく車に気が付いていなかった道端の老人は、娘から声を掛けられたら姿を消していた。その背筋はピンとしていた。もう一度切なくなった。私は定期券を再度紛失した母よりも、自分の後ろに近づいている車に気が付いていない母に、更なる切なさを感じた。

いつも通りにバスに乗り、いつも通りに帰宅した母。定期券見つけてくれたお礼にと、私の好きなスイーツをコンビニで買ってきてくれた母。いつも通りにみんなで食べた。家には道端の老人はいない。

この定期券騒動から少し経った頃、夏の暑さがより厳しくなった。その暑さを理由にし、厳しい暑さが落ち着くまでの期間限定バス停送迎を承諾させた。

これ以後、暑さが和らいでもずっとバス停までの送迎は続き、いつの間にか「目的地まで」の送迎へと距離が延びた。そしてすべての用事に付き添った。体調悪い娘に気遣い、たぶん無理をしていたのだろう。支えある事に安堵感を覚えた母はやっと本音を漏らした。「やっぱり一緒に来てもらえると助かるね」と。

母にこの言葉を言わせる前に、私が母を年寄りにすべきだった。これは私の大失敗だ。

元に戻せる人生なんてもうないのだけれど、もし母の横に戻れるのであれば、この時間まで戻したい。母を年寄りにしていれば、私はもう少し注意深く母の体調を気遣う事が出来たかもしれない。そうしたら、まだ今でも元気で笑って過ごせていたかもしれない。もしかしたら、このブログに書くことはまだ祖母の話しだけで、あなたとの思い出を綴るのはずーっと先の事にできたかもしれない。

家近くの道で見た光景が頭によぎる時だけは、母が定期券を失くした時に戻りたくなる。そんな自分勝手な事をほろりと思う。

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