【孫のあとがき】矢車草

祖母の詩

   

今と違って日差しが優しかった5月の思い出

大きな腹をふくらませ、悠々と泳ぐこいのぼりは何処かへ泳いで消えていった。昔と変わり、もう屋根より高い空のもとで泳ぐ姿は、うちの近所では見かけなくなった。すれ違う車は「我、高齢者なり」と示すステッカーが貼られた車ばかりの地域になった。

祖母が認知症になって少し経ったある日、ふたりで家の近所を散歩した。まだ家の近所にはたくさんのこいのぼりが泳いでいた5月。

てくてくと散歩をする私達からはるか遠い空に、とても大きなこいのぼりが泳いでいた。初子誕生かな?新しくて大きく、とても立派な真鯉と緋鯉。そして一番下にいる小さな青い鯉まで見えていた。近くまで行ったならば、それは更に大きく悠々と泳ぐ姿を見ることが出来ただろう。

そのこいのぼりを見つけて「わあ♪」と嬉しそうに声を上げた祖母。そして間髪入れずに聞いてきた。

ねえねえとんとこちゃん、あれはたべられる?・・と。

ばあちゃんの言う「あれ」はこいのぼりだ。きちんと魚と認識できていた。でもあれはこいのぼりなんだよなあ・・・食用じゃないのよ。

時に認知症も悪くないと思えた5月

魚とわかっているならば・・と、孫の私は聞いてみた。食べるんだったらどれ食べたい?と。祖母は迷わず「いちばんうえのあれがいい!」と、おおきな真鯉を指さした。

食べるんだったら塩焼き?煮つけ?どっちにする?

大きいのは塩焼きだねぇ。その下のは煮つけがいいよ二匹とも・・と、美味しく頂く調理法を、孫に指南してくれた。今でいうところのドヤ顔で。そのばあちゃんの顔はとてもかわいらしかった。

貧乏暮らしで祝ってやれなかった過ぎし年月は、認知症で流れて消えた。悲しい記憶がなくなったのなら、認知症も悪くない。祖母に限っては悪くない。

人生の終わりがけ、たくさんの苦労を手放せた祖母。ならば孫の私は認知症に恨みをもつことはよそう。たとえこの後、私のことをいの一番に忘れさせた認知症であったとしても、だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました