あんたがいてくれて本当に良かったと
祖母がこの世を去ってから数年後
折に触れ、母に言われたことがあった
それは娘にご苦労様と
伝える気持ちで言っていた
単なる親子間の社交辞令だと思っていたが
今は思う
ああ本当に私という存在は
母の助けになっていたんだと
祖母の在宅介護に必要だったのだと
母には自由に動く影がいた
母には自由に動く影がいた
母が望めば
影は東へ西へと走った
影は母が疲れたら
南へ北へと大きく伸びた
影は時に全速力で
影は誰にも悟られないようにゆっくりと
影は時に大きく時に小さく
自由自在にそのスピードと
姿を変えながら
母の隣で力を出した
その当時
影は母より30年以上も若かった
チカラみなぎる影だった
しかしそれから20年という年月が
じわじわとその影にへばりついた時
その影は独り寂しく年老いた
いま影は私が疲れると
同じ場所で疲れ果ててしまい
いま影は私が横たわれば
同じ姿で小さく哀れに横たわる
東にも西にも走って行かない
北にも南にも行こうとしない
ただただ私と同じその場所で
私と同じ形になりたがる
私は誰の影にもならなくなった
時が経ち
その時がまた来たら
私にも影が出来るのではなかろうかと
ココロひそかに思った身体は
どんな光に照らされようとも
影現れない日を過ごすのみ
それでも私はまだ在宅介護を
viva!だとのたまう
影持たずとも
父の顔を見れば
在宅介護はviva!だと思える
犬を見てもそう思う
だけれど介護はviva!じゃない
影なき今はそうも思う
私の母には影がいた
私の身には影がない
私は影を持たずに我を鞭打ち
東へ西へ
北へ南へ
自分の足と根性だけで進んでいる
コーヒーとパンで機嫌を取り
仕方なくため息つきながら
それでも楽しく悲しく前へと歩く
あとがき
祖母の在宅介護を行うにあたり、私が特別優秀だったというわけではない。在宅介護は頭数がいる。気持ちの逃げ場が必要になる。そういう事なのだ。私は単なる頭数のひとつで、母の背負った荷物をたまに肩代わりできるという存在に過ぎなかった。
母と私と父、そしてたまにではあったが叔母も加わり、祖母の在宅介護は完結した。被介護者に対して介護をする担い手が3~4人。それであっても、その時主介護者であった母は大変な苦労をしていたんだなと今わかった。
祖母の主介護者でキーパーソンだった母。母はひとりではなかった。同居している娘がいた。義母の介護に自分も役に立ちたい気満々の夫がいた。だから私の在宅介護の体験と記憶はviva!だった。
そしてなにより私は当時若かった。その時のまだ若い脳に在宅介護の体験は「成功例と理想」として刷り込まれ、自分の両親の介護が始まったら、その「成功例と理想」を活かしてviva!在宅介護を始めるんだと考えていた。
そこに「自分が歳を取る」というとんでもない副産物がでてくる事に気が付かず、viva!なる在宅介護の未来予想図を描いていた。
祖母はこの家で息を引き取った。紆余曲折あれど、その悲しい最期の時間は穏やかだった。
母の最期は病院だった。ずっと家にいたいと願っていた母は、ターミナルケアを施される病室に移された後、そこは彼女が望んだ場所ではなかったが、母親として最後の力を振り絞り、残される娘を絶望のどん底に落ちて行かないようにと立派な最期を成し遂げた。
そして現在。母のお陰でどん底に落ちなかった娘は、要介護1と認定されたアルツハイマー型認知症になった父とふたりで暮らしている。
どん底には落ちなかったけれど、娘は経年劣化した。父親と暮らしているから「娘」なだけであって、世間から見れば中年の終わりがけで初老の入り口に立っているだけの人間だ。その体で91歳のアルツハイマー型認知症の父を支えている。限界は来ている。在宅介護は無理する事から始まる。自分の24時間に、家族とはいえ別人格の別物の24時間の肩代わりをするのだ。
あんたがいてくれて本当に良かった
ちょっと前の昔の事。母が私に言ってくれた言葉がようやく身に染みた。その言葉に心底嬉しく思い、それと同時にその言葉が私の骨と肉にビキビキと更なる亀裂を入れてくれた。
母には自由に動く影がいた。それは私だ。若かりし頃の私だ。影は経年劣化した。それは私だ。今をもがく、骨と肉に経年劣化で亀裂が入り続けている私だ。
それでもまだ在宅介護はviva!だと思う。祖母と母のお陰でviva!だと思える。でも介護をviva!とのたまうだけでは事進まないという事も学んだ。
そうなんだ。私は影を飲み込んだ。若くて力のある影はいなくなったが、少しばかり知恵と経験を蓄え育った影を飲み込んだ。
無茶はしないが、さて次はどう動こう。
コーヒーとパンで機嫌を取り、仕方なくため息つきながらでも、それでも楽しく悲しく前へ。それが今の私のviva!在宅介護。
無茶はしないと言ってはみるも、いま父のケアプランを自分で書きたくて仕方ないところまで来ている。


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